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飲食事業

「フランス料理=敷居が高い」というイメージを払拭するため、和の空間、そしてお箸で、気軽に本格的なフランス料理を楽しんでいただけるお店にしました。

毎朝市場で仕入れる魚介、シェフが厳選したお肉、契約農家から取り寄せる旬野菜など、目で見て美しく、食べて舌が喜ぶ、そんなお料理に仕上げています。

「肩ひじ張らずに、贅沢な気分を味わえる」「自分の息子に、おもてなしをうけてる気分」など、大人の女性に足繁く通っていただいております。

食について学ぶ「子ども食堂」や、フランス料理を身近に感じる「料理教室」など、イベントも開催しております。

増田 慎一 プロフィール

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1977年6月12日生まれ。神奈川の箱根出身。 箱根という立地条件から、学生時から、旅館やホテルでお皿洗いのアルバイトをしていました。そこで料理人の方達の理不尽さを見て、「将来絶対料理人になんてならない」と誓っていました…

●なぜ、料理人になってしまったのか

大学卒業後、就職活動は1回もせず、何も決めないまま実家に帰りました。突然、山梨のペンションに就職。理由は「大好きなフライフィッシングが毎日出来そうだったから」です。最初は「ただ釣りがしたかったから」という不純な動機です。そこのオーナーシェフは、元帝国ホテルの料理人でした。完全に予定外のフランス料理の道に入ってしまいました…。そのオーナーから、料理以外にも仕事をするスタンスなど、社会人に必要な全てを叩き込んで頂きました。8年間お世話になって退職。すでに、フランス料理の虜になっていた自分にとって、料理以外の仕事が無意味なものに感じてしまい、退職を決意しました。自分を育てて下さった感謝の気持ちを忘れて。若気の至りだったと思います。そして、静岡に引っ越しして、結婚。清水の某企業の代表から「飲食店をリニューアルする際の店長をやらないか?」というお話をもらい、即決断。たくさんの明るい展望を持ちながらのオープンでしたが、夢と現実のギャップを思い知らされました。

●明るい日々の予定が地獄の日々に…

連日の売り上げゼロ。仕込んでも仕込んでも、自分の料理を食べてくれるお客様が来ません。初めてチラシを作り、開店前、閉店後、休日、とにかくチラシを配りました。気付くと空が明るくなっていた日も…しかし、全くチラシの効果が出ません。自分が苦労して配ったチラシが道に捨てられているのを見た時は、本当に悲しくなりました。しかも、何枚も、何度も…。寝る間も惜しんで配ったチラシが、スタッフと協力して配ったチラシが、読まれることなく捨てられていました。“うちの店なんて魅力ないんだ”“だいたい自分の料理なんて食べてくれる人いない”“自分は世の中に必要とされてないんだ”…完全に自分の存在価値を否定され、その悩みも誰にも言えず…「もう、辞めよう…」「こんな苦しい思い、嫌だ…」と、何度も何度もそう思いました。「自分の決断は間違えだったのか…」と悩みながらもチラシを配っていたある日、心労で倒れてしまいました。意識がもうろうとする中の点滴…全く覚えていませんが、無意識の中、看護師さんに名刺を渡して、か細い声で「一度店に来て下さい」と言っていたらしいです。後日、リピーターになってくれた看護師さんが笑って話してくれました。さらに、売り上げが上がらない状況で娘が産まれました。父親になった焦り、売り上げが上がらない状況でも信頼してくれるオーナー、付いてきてくれるスタッフ、様々な想いが交錯し、腹をくくりました。『絶対に売り上げを伸ばす!』と心に刻みました。

●状況が変わり始める。

そんなある日、あるチラシが目に止まりました。「これだ!」と思いました。チラシのノウハウを必死に勉強しました。そして、出来上がったチラシを配った翌日、『チラシを見たんですけど…』と、そのチラシを片手に来店されるお客様が急に増えました。チラシで来店されたお客様には、全力で抱きしめてしまいそうになるのを必死でこらえました。コツコツ、コツコツやり続け、少しずつ売り上げが上がり始めました。お陰様で、今では、連日の満席になりました。売れる商品を作る、という意識と同時に、売れる仕組みを構築する、ということに気付いたからだと思います。開店から2年半、チラシは17回作りました。最初は全く反応がありませんでしたが、試行錯誤の上、何とか反応のいいチラシを作ることが出来るようになりました。前職の8年間で経験させて頂いたことも凄く役に立っています。今更ながら、感謝しています。個人経営の飲食店にとっては、【新規集客】が最大の悩みだと思うのです。最大の悩みですが、少しずつ光が見え始めました。僕はもう集客に対する不安はありません。飲食店で集客に悩んでいる方、僕のように心労で倒れる前に、メッセージを下さい。

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